「ねえ、銀色のうさぎを見に行こうよ」
学校帰りファーストーフード店の中、真向かいに座っている君が教科書を読んでいる僕を覗きこむようにして言った。
「はい?」
驚いた僕はすっとんきょな声を上げた。つばが飛んで本についてしまった。この人はおかしなことばかり言う。
「だからさ、私のおばあちゃんちの近くにいるらしいのよ。ピカピカに光った銀色の体をしたうさぎがさ」
「銀色のうさぎ。前に図鑑で見せてもらったばかりなんだけど。ああ、あれは濃い灰色だったか」
朱音(あかね)は大のうさぎ好きで僕にこうして良くうさぎの話をしてくる。
うさぎってかわいいよねー。丸くて小さくてふわふわで。聞かされるのは大体知識のかけらにならないうさぎへの無限の愛。
それを身振り手振りを交えて一生懸命僕に伝えようとする。布教活動とも言えよう。
「図鑑に載っているような銀色っぽい灰色じゃなくてさ、もっとさ、銀紙みたいにぴかぴかしているらしいの」
僕はあまりに突拍子もない話を軽く流して、教科書にぎっしりつまった英文の列を追う。
今は三学期の学年末テストの真っただ中。そして明日は最終日。英語一科目を残すだけとなっている。英語が苦手な僕は一分でも時間が惜しい。家に帰るとだれてしまいそうだから、わざわざここで勉強しているんだ。
「君はいいよねー。勉強しないでもいつも良い点とってるからさ」
皮肉と怨念をたっぷりつめて僕はおいしそうにコーヒーを飲む君にちくりと攻撃した。
「私、昔から勉強だけは得意。記憶力良いから。だけど、家庭科と体育はダメだなー。えい、すきあり!」
テストの話に舵を切り油断させて、君が本をひょいと取り上げた。関心の無い僕を何とか話に引き込もうとしている。
「何すんだよ。悪い点取ったら朱音のせいだからな」
僕は立ち上がり本を取り返そうと手を伸ばす。
「いやだ。返さないよーだ。ついてくるって言ったら返してあげる」
朱音は取り上げた英語の教科書を自分のカバンにせっせとしまって席を立ち上がった。
とんでもない発言ばかりするのに、行動力はかなりあったりする。僕はその都度いろんな所に連れ回されて少しうんざりしていた。
でも、僕はそんな朱音が好きだった。予期せぬことを言う瞬間のキラキラした目を見ていると何だか幸せになれる。
元気いっぱいで一緒にいて楽しいから、一日歩き回ってどっと疲れてもおつりが返ってくる。
「わかった。わかった。ついていけばいいんだろう? 約束守るから、本は返してもらうぞ」
「はーい。ありがとう。友章(ともあき)大好き」
君といると調子を狂わされる。とぼけているくせに気がつけばペースをしっかりにぎられている。
天然そうでいて本当はものすごい計算高いのかもしれない。
一番近くで見ているのに、雲みたいにふわふわしてて未だに朱音がどういう人間がちっともつかめない。
何にも縛られない、自由という言葉が良く似合う女の子だと思う。
「それじゃあテストがんばろー。明日のテスト終わったら直行するよ。よって今晩は早めに寝るよーに」
「へいへい。何かすっかり力が抜けちゃったよ」
そういうわけで僕と朱音は幻の銀色うさぎを探しに朱音の田舎に行くことになった。
月明かりがきれいな夜だ。電灯の少ない道を月が代わりに明るく照らしている。
英語のテストを済ませた僕たちは急いで家に帰った。昨日の夜にあらかじめ作っておいた荷物を持って、長い間電車に揺られ、朱音のおばあさんの家に到着した。
朱音のおばあさんは初対面の僕にもとても親切にしてくれた。おいしい晩御飯をおなかいっぱい食べ、お風呂に入り部屋でくつろいでいると朱音が外に出ようと提案してきた。
出る前はこんな夜遅くに出たら危ないんじゃないかと心配していたものの、外の明るさを感じてすっかり安心した。
「うさぎは夜になると元気いっぱいになるんだよ」
来る途中の電車の中で朱音が言ったのを思い出した。
朱音の話によると、人間に飼われているうさぎは人間に生活リズムを合わせて昼間も起きているんだけど、やっぱり夜の方が元気があるらしい。
どうせ見るなら、元気いっぱいに野原を駆け巡っている幻の銀色のうさぎが見たいと、夜に出発することに決めたんだ。
うさぎが目撃されたスポットは朱音のおばあさんの家から歩いて十分の所に広がる原っぱだ。
この辺は治安も良いし、家から近いから、じっくり探しておいでと朱音のおばあさんは僕たちを送り出してくれた。
「なあ、朱音は銀色のうさぎがいると思う?」
この旅が始まってから、いや、今回の話を持ちかけられた時から感じていた疑問を口に出す。
「さあね、わかんない」
あっさり返す朱音。そうもひらきなおられては、はあ、そうですかとしか言い様がなくなってしまう。僕としては、そうだよ、見つけるまでは帰らないからねと無茶なことを言われる方が良かった。
「いや、銀色のうさぎを探しに来たんだろ? いないとさみしくない? がっかりしない?」
朱音は歩きながらうーんと腕組みをして考える。
「おばあちゃんにも会えたしね。見つからなくもいいかなぁって。それに考えられないでしょ。銀色のうさぎなんて見たことないよ。うさぎ好き。それも小学校の時毎年飼育委員だった私が言うんだから、間違いないよ」
こんな所でわけの分からない自信を見せつけられてもさ。僕は朱音のテンションについていけず、ふーっと息を吐いた。
「そんなめずらしいうさぎさん。人間と出会わない方がいいと思わない?」
朱音の声のトーンが急に変わった。僕は横に並ぶ朱音の横顔を覗きこんだ。
いつもおちゃらけている朱音がめずらしく真面目で悲しそうな顔をしていた。
「人間って酷い生き物だよ。自分が豊かになるために、平気で他の動物を犠牲にする」
「それって仕方のないことだろ? 生きるためには犠牲が必要だ。動物や植物から命を分けてもらっているんだよ」
朱音は何を気にしているんだろう、僕にはさっぱり分からない。
「私、理科はあんまり得意じゃないけどさ、他の生き物で私たちみたいにめちゃくちゃやってる生き物っている? たった一種類の動物が自然のバランスを壊して、ヘラヘラ笑って毎日過ごしてるのっておかしくないかなぁ」
朱音が背負っているリュックを外し、中から小さなうさぎのぬいぐるみを出した。
「うさぎのぬいぐるみ。かわいいよね。本当は本物のうさぎさんこうやってだっこしたいんだけどね」
朱音は両手でうさぎを包み、胸に寄せる。
「飼えばいいじゃん? そんなに真剣に考えてるんだったら、きっとうさぎを大切にできると思うよ」
「ダメだって。飼わないって決めてるんだから。だから今日はちょっとだけ触らせてもらおうと楽しみにしてるんだ」
前にもこんなやり取りをした記憶がある。
ずっと昔のこと。そう、あれは小学校三年生か四年生のことだった。
放課後熱心にうさぎの世話をする朱音と、クラスメイトとサッカーに明け暮れていた僕はいつも一緒に帰っていた。
暗くなるとサッカーができなくなる。日がもっと長くなればいいのになと毎日思っていた。
家に帰ろうと朝礼台の側に置いたランドセルを取りに行くと、少し奥まった位置にある飼育小屋の近くに小さな人影が見えた。
暗くなったことにすら気づかずに朱音が小屋の外からうさぎをじっと見つめていた。
『おー。うまそうなうさぎだなー』
『うわ〜ん。うさぎさん食べないで〜』
いつものくだらない会話。こいつは何度言っても本気にしやがって、本当に涙を流すことだってあったくらいだ。
『おまえさー。そんなにうさぎがすきなら、おばさんにたのんでかってもらえば?』
これも毎日言う決まり文句。いくら飼育委員でもうさぎの近くにいられるのは学校にいる間だけ。
名残惜しそうに飼育小屋を振り返る朱音を見て、僕の幼い心は切なくなって、胸がきゅーんとなった。
朱音の家は一戸建てだし、家族が許せばうさぎだって飼える。こんなにさみしい思いをするくらいだったら、さっさと家にうさぎをつれてくればいいのによ。飼育小屋の中のうさぎを金網にへばりついて見ているだけで、いつまでたっても何にも行動を起さない朱音に僕はいらついていた。
『言いにくいんだったらぼくがおばさんにたのんでやる。うさぎをかえ。めいれいだ。』
あの日、ついにしびれをきらしてそう言ったんだっけ。僕がきつめに言うと、朱音は軽く笑って一言だけ言った。
『うさぎさんがかわいそうだよ』
あの時の僕には朱音がかみしめるように言った言葉の意味が理解できなかった。
「小学校の時もそうやって言ってくれたよね」
広い原っぱに出て黙々と歩いていた朱音が立ち止まった。さっきの話、まだ続いていたんだった。
「いくら言っても僕の言うことを聞かない頑固者だったな」
「その節はご迷惑をかけて」
朱音がぺこりとお辞儀をして、くるりとその場で一回転をした。
月に照らされたさらさらの銀色の雪を両手ですくって明るい星空に散らす。きれいだなと素直に思った。
「まあまあ、私の頑固さにもそれなりの理由があって。そこのお兄さん、一つ聞いてかないかい?」
「いいけど、寒いから歩きながらな。うさぎを探すって大目的もあるんだし」
「はーい。いちいちうるさいな」
足が取られるほど積もっていない雪の上を一歩ずつ踏みしめるように、僕たちはまた歩き出した。僕はちょこちょこ進む朱音を五歩後ろからついていく。
結構広い原っぱだ。端っこが見えない。どこまでも銀色の雪が広がっている。白い雪しか見たことがないから、銀色の雪にどこか新鮮さを感じる。
「なあ、この原っぱ端っこまでどれくらいかかるんだ?」
「どれくらいだろ。あんまり来たことないから分からないや」
前を向いたままさらっと言いのけ、変わらないペースで歩き続ける朱音。
「それでさ、さっきの話なんだけど」
朱音がなかなか言い出さないものだから僕から聞き返した。
「ああ、私がどうしてうさぎを飼わないかって話だよね?」
「そうだよ」
さっきと同じように朱音がぴたっと止まった。そして、この辺がいいかなとひとり言をつぶやき、リュックから双眼鏡を出した。
「用意良いな」
「とーぜん。あーっ、これじゃあ雪の色と重なって見つけられないかもなぁ」
どうにも話がちぐはぐだ。まあいっか、時間はたっぷりあるんだし。
「そうだった。まだ話が途中だった」
朱音が思い出したかのようにポンと手をたたいた。お前はにわとりか、僕は朱音の頭をこづいた。
「ごめんごめん」
「いいからまた忘れないうちにさっさとしゃべれ」
「分かったよ」
双眼鏡を覗き込む動作を止め、朱音は僕の方にくるりと振り返った。
「簡単に言うとね、あの時の私は人間に飼われるうさぎって山の中から連れてこられるのかなって思ってて。私がうさぎを飼いたいって言ったら、また一匹新しく連れてこられる。静かに暮らしてたうさぎさんがかわいそうだなーと」
「なるほど」
こいつは昔から変な所にばかり気をかけて。うさぎに対しても独特の考え方があったようだ。
「そんなのは大きくなっていくにつれ考えなくなったんだよ。それでも、私は大好きなうさぎさんをペットにすることに今でもすごい抵抗を感じているんだ」
「どうして?」
「いくら大切にして、気づかって面倒を見てもさ、自然の中のうさぎさんにはかなわないかなーって。自然は厳しいと思うよ。えさも満足に取れない時だって、震えそうなくらい寒い時だってある。わんちゃんを飼ってる人は多いよね。飼ってる人も、飼われてるわんちゃんも幸せそう。あれはあれでいいと思う。ただ私の場合、あんな風にはできないかな。家の中にいるうさぎもいいけど、やっぱり私は広い原っぱを駆け巡るうさぎさんが好きだから」
ちょっと変なやつだけど、いろいろ考えているんだ。三度の飯よりうさぎが大好きで、そのうさぎを大切に思う優しさを持つ女の子。
僕が感心して後姿を見とれていると、突然、朱音があーっと大声を上げた。
「どうした?」
うれしそうにぴょんぴょんはねる朱音を落ち着かせようと肩に触れる。
「いたよー。銀色のうさぎ。こっちに走ってくる」
興奮のあまり持っていた双眼鏡を雪の上に放り投げ、うさぎに大きく手を振る。
僕の目にも幻の銀色のうさぎがしっかり映っていた。まぶしいばかりの銀色の体をした小さい体のうさぎが。
銀色のうさぎ、正直そんなものはいないものだと思っていた。それだけに良い意味でショックが大きかった。
「かわいいね。話に聞いたとおりピカピカしてるよ。ねえ、抱っこしてしてもいいのかな〜」
目の前のうさぎにメロメロになって声がとろとろしている。甘ったるい声に拍車がかかっている。
「逃げないんだろ? 嫌がってる感じもしないしさ、気が済むまでだっこすればいいんじゃないか」
銀色のうさぎは朱音になついている。足に擦り寄って、すっかり安心している様子だ。人間を知らないうさぎは警戒心が強いものだと考えていたけれど、このうさぎはそうでもなかった。
「まんまるでふわふわ〜」
朱音がかがんで、うさぎを優しくなでる。気持ち良さそうにしているうさぎは朱音の温かい両手に吸い寄せられた。
「気に入ってもらえたみたい」
「よかったな」
満足そうにしている朱音を見ると心が和む。朱音が両手で包み込んだうさぎを顔の近くに抱き寄せる。
「うーん」
朱音がうなった。大好きなはずのうさぎ。念願の銀色のうさぎを抱いているのに何か嫌なことでも思い出したのだろうか。
わけの分からないやつ。僕は声に出さずに吐き捨てながら一貫していない朱音の次の行動に注目する。
「うれしくないのか?」
朱音がうさぎを見つけてほっぺたが落ちるくらいとろけていたのは最初だけだった。うさぎを抱きしめて顔に近づけて観察しているうちに雰囲気が変わり、妙に静かになってしまった。
「ううん。うれしいよ」
「それならどうして」
「私、やっぱりこのうさぎさんが元気いっぱいで走り回ってる姿が見たいんだ」
「もう放すの?」
「自由って良い言葉だと思わない?」
僕の質問を無視してうさぎを放す話をすりかえ、何の前触れもなく「自由」という言葉について訊いてきた。朱音は何が言いたいんだろう。
「自由ね。確かに不自由なのはいやだな」
「でしょ。私は自由に生きたい。それはこの銀色のうさぎさんも同じだと思うんだよ」
朱音がよしよしとうさぎをなでなでする。
「ペットの話の続きか。飼うとなると、うさぎを自分の都合で縛りつけてしまうんじゃないかって考えてるんだろ」
「狭い家の中ですら放し飼いにできないから。私のせいでうさぎさんの自由を奪ってしまうことになるんだよ」
朱音が残念そうにうさぎを抱きしめる手の力を緩める。
そんなことない、お前が飼うと言い出しても、影響を受けるうさぎは一匹しかいない。それにお前が飼わないときっぱり言っても、朱音風に言う所の人間の犠牲になるうさぎが減るわけじゃない。話を聞いていて、真っ先にそういう現実的なことがふっと浮かんだ。
口を割りそうになったのを僕は唇を軽くかみ締めて踏みとどまった。
「だったらそんな顔するなよ。考えた末のことなんだろ?」
僕の一言は朱音を傷つけてしまうんだろう。
決意をかって応援しようと思ったけれど、飛び出した言葉は想像以上に冷たいものだった。不器用な自分が嫌になる。
「そうだよね。暗くなってごめん。よし。お別れする前に写真とろう。写真」
しゅんとなった朱音はいつもの調子を取り戻そうとしている。リュックから出した使い捨てカメラを僕に放り投げた。
「とってよ」
「はいよ」
渡されたカメラのレンズ越しに朱音とうさぎを捉える。
穏やかな笑顔を浮かべる朱音。よかった。吹っ切れたんだ。ずっと考えてきたことに決着をつけられたんだ。
「はいチーズ」
シャッターの音とほぼ同時にフラッシュが光り撮影が完了した。
「ほらよ」
その後連続で十枚程撮り、来た時みたいにカメラをぽんと投げ返した。
「サンキュ」
朱音は軽くウィンクして感謝の気持ちを表した。
「よし、目的も達成できたことだし、寒いからもう帰ろうぜ」
「まだだよ。うさぎさんとちゃんとお別れしなきゃ」
「そうだったな」
朱音がしゃがんで手のひらをそっと地面に向けた。迎えた時と同じ体勢でうさぎを野に送り出そうとしている。
「さようなら。元気でね」
あんなになついていたうさぎも放されるとすぐに原っぱの奥に走っていった。
「またね〜。また来年も来るからね〜。私のこと忘れないでね〜!」
月の光が及ばない遠くの闇に消えていくうさぎに向かってぶんぶん大きく手を振り続ける朱音。
形が識別できないほど遠くに、銀色の地面と少し違う銀色の光が一瞬だけ見えた。
銀色のうさぎが朱音の言葉に光ることで応えてみせたのだと僕は解釈した。
「うんうん。また来るからそれまで体に気をつけてがんばれ」
銀色の光は朱音の目にも入ったようだった。両手をぐっと握って応援している。
朱音はうさぎが大好きなのに、うさぎを飼うことを拒み続けてきた。抱きしめることもめったにしない。
それは朱音が自然の大切さを知り、優しい心を持っていたから。
優しさじゃない。自己満足や偽善と言う人がいるかもしれない。
僕がその中の一人だった。あいつはいつか誘惑に負けて、うれしそうにうさぎを飼うだろうと予想していた。しかし、何年経っても朱音はうさぎを飼うどころか、うさぎを飼いたいとも一回ももらさなかった。
僕は疑っていた自分を恥じた。朱音のうさぎへの気持ちは僕が思っていたような弱いものではなかったんだ。きっと、これからも朱音の純粋な気持ちは変わらないだろう。
自然を大切に、環境を、地球を守ろう。学校やテレビにたまに話題になるテーマ。環境を守ることは良いことだ。繰り返し繰り返し教え込まれて深く考えたことはなかった。理解した気になっていた。
僕は物であふれた国に生きているから環境破壊は遠い海の向こうの出来事だと思っていた。
四季の移り変わりが鮮やかだから、今も昔と変わらず豊かな自然に囲まれていると錯覚していた。
豊かさを得るために自然を利用してきた人間たちが、自然が無限のものであると思い違いをしていたように。
僕にできることは何にもないかもしれない。
それでも、うさぎを通じて自然を大切に思う朱音を見続けるうちに生まれた気持ちがある。
僕もこの機会に自然とどう向き合っていけばいいのか考えるべきだと思うようになったんだ。
「うさぎを飼わないって信念、疑ったりして悪かったな」
「えっ? 何のこと?」
いきなり話を振られた朱音はとぼけた声を出した。
「お前はすぐにくじけてうさぎさんふわふわだ〜って僕に見せつけてくると思ってたんだよ」
「ふ〜ん。私のことそんな目で見てたんだ。ちょっとがっかりだな」
深いため息をついて落胆をオーバーに表す朱音。僕のせいでご機嫌ななめになってしまった。このままではしばらく全然口を利いてくれそうにない。
頑固者の朱音をなだめるのは骨が折れる。前にケンカした時は一週間くらいまったく口を利いてくれなかった。
「よし。お詫びのしるしとおまけをつけて、大きなうさぎのぬいぐるみを買ってやるぞ」
「え〜っ。ほんと?」
眉間にしわを寄せてぷんすかしていた朱音はすっかり機嫌を直して、僕にくっついてきた。
「いつになるか分からないけどね。プレゼント」
「ねえ。早く買ってよ。買うお金なかったらためこんでるゲーム売ってでもさ」
「冗談だよ。向こう戻ったらすぐ貯金下ろして買ってやるからさ」
「わ〜い。ありがとう」
幻の銀色のうさぎ、それは朱音にとっての自由と自然の象徴。僕にとって自由の象徴は朱音だった。
朱音はいつでも笑い、あらゆるものから解き放たれた存在だと僕は思っていた。人間としての限界はあるだろうけれど。
その朱音が大切に思ううさぎの自由を守ろうとしている。
朱音にとってのうさぎは、僕にとっての朱音。
大好きなうさぎのことをなるべく考えていられるように、僕は朱音が自由でいられるように手助けしていきたい。
朱音が自由気ままに走り回るうさぎが好きなように、僕もまた自由を楽しむ朱音が好きだから。
「また来ようよ。来年も再来年も、そのまた次の年も。ずっと」
「来年もまた銀色のうさぎが見られるといいな」
「そうだね。それに大きいぬいぐるみ買ってもらうから、もうさみしくないよ」
「あんまり高いのはよしてくれよな」
「ふふっ、覚悟しておきなさいよ」
来年もこうして他愛のない会話をしていたい。朱音の喜ぶ顔が見たい。
朱音はうさぎを「飼う」ことに抵抗を感じている。朱音の中ではどんなに大切にしようが飼う、飼われる関係である時点で納得できないようだ。
もちろん朱音自身、ペットを飼うことに反対してるわけではない。幸せそうにしているペットを街中で見ると、私もうれしくなると言っていた。気に留めているのは、ペットを大切にしている人たちではなく、軽はずみな気持ちでペットを飼い始めてすぐ飽きて捨ててしまうような人たちなのだろう。
同じ地球という星に住む仲間としての意識を持ち、飼い始めたペットや動物、植物、その他の生きものに対して、無責任な行動をしないような人間が増えていけばいいなと願っている。
それが自然と人間の距離を詰めるための小さな小さな第一歩。
朱音と銀色のうさぎが心を通わせたように、同じ地球に住むものとして手を取り合って、長い長い道を歩んでいけるはずだ。
人間は自然からあらゆる物を生み出し、代償として自然を破壊してきた。
様々な環境問題に取り上げられるように地球はもうこれ以上耐えられないと悲鳴を上げている。
朱音の言葉を借りると、動物たちは地球をぼろぼろした人間を酷い生きものだと思い、恨んでいるに違いない。
罪をつぐない、僕たち人間の勝手なわがままでこれ以上地球を汚さないようにしなければならない。
自然や自然に生きる他の生きものが人間と対等の関係にあるのだと理解しなければいけない。
他の生きものと仲良くするためには、まず人間同士が笑いあえる、争いのない平和な世界を作ることが必要だ。世界平和を成就するには、思いやりと助け合いが何よりも大切だと思う。
意志とは関係なく、僕という一人の人間が生きることで少なからず地球の環境に悪影響を与えている。
だったら人の生活レベルを捨て、動物と同じように暮らせと言う人がいるかもしれない。
自然を守りたいと思うようになった僕もそこまですることはできない。だから、僕が言っていることは全部きれいごとだ。
僕は地球に住む者の前に一人の人間だ。自分の身が何よりも大事だ。
でも、何もしないよりかは、何も考えないよりかは少しでもこのことを考えることに意味はあるとはずだ。
きれいごとだののしる前に、不可能だと決めつける前に少しでも行動することが大切だと思う。
どんなに小さいことでも何もしないよりかはましだ。
計算して、マイナスが増えることになっても。−100がー99になるように意味は絶対ある。
僕は何をすべきなんだろう。何ができるんだろう。
どういう道を進みたいのか、どういった人生を送りたいのか、今までは自分のことばかり考えていた。しかし、今日朱音に連れられて銀色のうさぎをこの目で見て、僕は変わるきっかけをもらった気がする。
朱音みたい確固とした信念を持って何かことを成すまでには時間がかかるだろうけれど、たくさん考えてみよう。
まずはそんな気の遠くなる程大きなことじゃなくて、となりにいるふわふわした彼女についてでも考えてみようか。たくさん話し、いろんなものを見て朱音のことが理解できるようになったら、今度は二人で考えてみよう。
あの銀色のうさぎがこの先もずっと、自由に野原を駆け巡るにはどうしたらいいんだろう。
そしてあの銀色のうさぎは、その瞳に何を見据えているんだろう、って。
|